石 川 県 立 図 書 館 報
第269号(平成12年7月) (4)

富樫政親滅亡の背景を浮き彫りに
    『加能史料 戦国U』刊行
 加賀・能登の古代・中世を対象とした史料集である『加能史料』は、平成十一年度に「戦国U」を刊行することができました。
 本冊には、文明十三年(一四八一)七月朔日より、長享二年(一四八八)五月十二日までの史料を収めました。収録記事は、応仁の乱終息(文明十年)をやや経てから、加賀における長享の一揆による富樫政親自刃(長享二年六月)前夜という状況のなかでの、加賀・能登の動向はいうまでもなく、京都等に在住する加能出身者の事績です。
 加賀では守護富樫政親が領国支配を展開させています。そのなかで、政親政権の中枢に位置する守護代山川高藤と、側近である奉行大槻橋親長等の活動が見られるようになりました。
何船百韻  いっぽう文明の一揆(文明六・七年)以降、政親政権に合力するようになった一向一揆と、一揆を主導する本願寺一門が、歴史の舞台に登場しました。石川郡一揆のりーダー河合藤左衛門尉や山本円正・川原源左衛門・松本兵衛等です。また本願寺一門のなかで蓮誓が、文明十八年(一四八六)江沼郡一揆に取り立てられ、一揆の組織化がさらに進みました。本冊では蓮誓宛の蓮如書状を蒐集して、十一通を収録しました。
 このように長享の一揆に関係する人々が続々と登場します。主役である政親は、文明十八年七月将軍足利義尚の右大将就任祝賀行事に参列するため上洛しました。在京はさらに続き、翌長享元年九月義尚の近江出陣にも従事します。政親の在京・出兵は、国元での秩序の変化と軍事費負担への反発を生んでいたのです。
 能登では守護畠山義統が分国支配を進めます。その権勢と教養は文化人の下向を促し、文明十四年(一四八二)には招月庵正広が府中に到り、同十八年まで滞在しました。義統の文芸活動を示す同十五年「何船百韻」は原本を口絵に掲載しました。
 在京する加能出身者には、義尚の側近で加賀に所領をもつ結城尚隆、能登に縁をもつ日野富子の家臣松波六郎左衛門尉等が登場し、少なからず加能に影響を及ぼしています。
 加賀・能登、畿内で生きた多くの群像の動きが読みとれる一冊です。

金沢川上芝居番付等を復刻
  『石川県史資料近世篇(一)』刊行
文政2年5月6日(犀川川紙芝居)  文政元年(一八一八)十二月、加賀藩は歌舞伎興行を許可し、金沢城下法船寺馬場下口の宝久寺河原で板東七蔵一座が興行を始めて、以来金沢を中心に領内各地で歌舞伎興行が盛んになりました。『石川県史資料近世篇』では、全四冊の予定で、県立図書館・県立歴史博物館などに所蔵する芝居番付を、影印版で小屋別に順次刊行します。第一回配本は、文政二年以降の宝久寺河原芝居(二点)、犀川川上芝居(一六三点)、川上北芝居(一点)を中心に、明治期の川上南芝居(三点)、川上末吉芝居(四一点)等を収録しています。

頒布のご案内

加能史料戦国U
 A5版四六四頁 八〇〇〇円
石川県史資料近世篇(一) 
 A4版 二一四頁 三〇〇〇円
        (価格は本体)

《問い合わせ先》
 石川史書刊行会
  (県立図書館史料編さん室)
 TEL O76(223)9579